こんちゃ!ゆる活ナースayakaです!
今回はYUKOさんからの「寄稿記事」をお届けします♪
看護師として働く中で、新人時代に毎日が辛くて大変でストレスがあったり、看護師を一度辞めると、仕事に戻れるか不安だったり…人生について悩むこともある。
それはきっとたくさんの看護師さんが通る道ですよね。
今回は、そんな悩みをあるキッカケで解消して、看護師として幸せに楽しく働けるようになった、YUKOさんの体験談です!
あなたもなにかキッカケを掴めば人生変わるかも?
初めまして、YUKOです。
私は今29歳で、整形外科病棟の看護師として働いています。
私には今、「自分の人生はこんな風にしたい」という目標があります。そしてそれは、今自分が歩いている道の延長線上にきっとあるだろうと信じています。
だから、仕事があんまりうまくいかなかった日も、なんか今日はだめだーと思う日も、自分がどこを目指して歩いているのかを見失わずに、またすぐいつも通り前を向いて楽しく生きていくことができています。
そんな私ですが、看護師になったばかりのときからそう思って毎日を過ごせていたわけではありません。
新卒時代から数年間は、仕事のストレスでギリギリの精神状態のときもありました。休みの日でも、翌日が日勤だと思うとどんよりした気持ちになり、胃のあたりが重たーくなってきて、目に移るもの全てから徐々に色彩が失われていき、世界が灰色に見えるような気さえしたものです。
こうやって書くと大げさですけど、共感してくれる看護師さんも多いのではないでしょうか…?
看護師としての人生を楽しめるようになったキッカケ
看護師として働いてぶつかった悩み
私は大学で看護学を専攻し、4年間の学生生活を経て看護師の免許を取りました。新卒で就職したのは地域に密着した2次救急の総合病院で内科の混合病棟へ配属になりました。1年目の研修制度もしっかり整っているところが魅力でした。
社会人1年目のときは、もう本当に仕事に慣れる!覚える!のにとにかく必死でしたが、息切れしながらも同期と励ましあってなんとか食らいついて乗り越えました。
そして、2年目になって徐々に仕事にも慣れてきたら、ちょっとだけ周りも見えるようになって、自分のことも少し客観的に見れるようになりました。
社会人としての生活にも慣れ、休日は日々のストレスを発散することに惜しみなくお金と時間を使いました。大好きなアーティストのライブに行き、おしゃれなお店でお酒を飲んで愚痴を言い、冬は連休のたびにスノボに行きました。大学生のころとはレベルの違う資金力で思う存分遊ぶのは、それはそれはもう楽しかったです笑。
でもやっぱり「明日仕事だ」と思ったときのどんよりした気分は、何年経っても変わりませんでした。趣味もあって気の合う仲間もいて、休日はバラ色のような日々だけど、充実した休日を過ごせば過ごすほど、また仕事という灰色の現実に戻るときの落差が際立つようにも思えました。
休日を楽しむ中で、看護師として次のステージの悩みへ
休みのたびにさんざんやりたい遊びを楽しんで満足した私は、徐々にこんな風に思うようになりました。
「一週間の中でも、一か月の中でも、仕事をしている時間が一番長いのに、その一番多く使う時間を灰色のように過ごし、ただただ次の休みだけを目指して生きているのって充実っていうのか?」
「私って"休日に遊ぶため"に生きているんだろうか?」
ライブに行けば、たくさんのファンの声援を受けてこんな大きな会場でライブを開催できるようになった、ある意味"夢を叶えた人"の一人であるアーティストにいつも元気をもらえました。
だけど、会場でその最高の空間を一緒に作り上げている気持ちになっても、実際私はお金を払ってその場にいる権利を買っているだけ。私の現実は、鳴りやまないナースコールと入退院の処理とOPとケアに追われて先輩に怒られながらヘロヘロになって残業して記録を書いている日常のほうでした。
いくらお金で楽しみを買ったって、"消費者側"にいる限り自分は永遠に舞台に立つことはできないんだ、と思い知りました。
そう思った時にわたしは、人生の中で最も長い時間を過ごし、ちっぽけでも自分が社会に価値を提供できる「仕事」という部分で、充実感や目標、情熱、生きがいを持つのが一番幸せな生き方じゃないか、と考えるようになりました。
どうやって仕事にやりがいを見い出すか考えてみると…
そこでまたまた自分とミーティングを重ね、考え、色々なアイデアを出しました。
看護師の仕事は好きだし、どっちかというと向いてると思う。医療の勉強も興味深くて楽しい。看護師自体が嫌で辞めたいわけではない。
わたしの好きなことは何だろう?お酒、スノボ、スポーツ。知らない世界や価値観を知ること。あまりのストレスに心が死んでるときでも、考えるだけでわくわく楽しい気分になれること。
それらの自分のアンテナにひっかかったことからヒントをもらい、かつ看護師としてのキャリアに生かせそうなことは、スポーツかなと思いました。目標に向かって努力を重ねるアスリートの姿はいつも眩しく、モチベーションや元気をくれるんです。
医療従事者として、大好きなスポーツに関われることはないか?スポーツの観点から医療の勉強をしてみたい。こんな風に考えるようになり、本などで調べてたどり着いたのが「アスレティックトレーナー」という資格でした。
アスレティックトレーナーとは
アスレティックトレーナーは、身体活動に従事する人やスポーツをする人の怪我の予防、応急処置、怪我の評価、リハビリをしてまたもとの活動の場に戻るサポートなどを専門とするスポーツ医療のスペシャリストです(実際は、もっといろいろな部分をカバーしているんですがここでは簡単にわかりやすく書かせていただきました)。
この専門分野に興味を持って調べれば調べるほど、私の目指す仕事像のビジョンにあったスキルが身につくんじゃないか、可能性が広がりそうだ、という期待がむくむくと大きくなり、この世界に入ってみたいと本気で思うようになりました。
どうせ週5で仕事に時間を使うなら、自分が情熱を注げることをやりたい。SNSなどで見つけた人に連絡を取って、親切なたくさんのアスレティックトレーナー/スポーツ関係の人たちに話を聞かせていただき、ウェブサイトだけでは見えてこないリアルを知るうちに、私の決意は固まりました。
アスレティックトレーナーになろうと決意した理由
アスレティックトレーナーは、日本でも協会資格として存在していますが、スポーツの本場アメリカでは、アスレティックトレーナーになるために学位が必要とされ、準医療従事者として確立された国家資格だということがわかりました。
スポーツの世界のことを大して知ってるわけでもないド素人の私でも、日本よりアメリカのほうがスポーツは盛んだろうなということは明らかにわかりました。どうせ仕事を辞めて全財産を投資するなら、規模も文化も段違いに環境が整ったアメリカで勉強をしたほうがより得るものが大きいかなと思って、そっちを目指すことにしました。
ついでに言うと、看護師を辞めて転職したいわけではなくスポーツ医療の勉強がしたいだけだったので、日本で専門学校に通って日本体育協会のアスレティックトレーナーや理学療法士などの資格を取っても、結局看護師として働くなら意味ないか…と思ったのもあります。
あとは副産物として、医療で使える英語が身につけばいいなと思ったこと、大学院のプログラムもあることがわかったので単純に卒業すれば修士号も取れることなど、"そこまでしてもやるメリットがある"と判断しました。
そして私は看護師3年目の途中から、出願に必要なTOEFLのために英語の勉強を(こっそり)始めました。
看護師を辞めてキャリアを中断することへの不安
実は、今回の記事のメインは私がアスレティックトレーナーになった話ではありません。
全く英語を話せなかったくせにどうしたかとか、渡米して大学院に進学してからのこととかはぶっちゃけどうでもいいんです。前置き長すぎかもしれませんが、ここからが私が今回書きたかったことです。
1年くらいじっくり調べたり考えたり人に会ったりしてアメリカの大学院進学を決意し、準備を始めたのはいいけれど、同時に"今あるもの"を失う大きな不安と恐怖に襲われました。
まだまだペーペー看護師には違いありませんが、同じ病棟で3年も働けばできることも増え、仕事のやりがいや職場でのキャリア目標、憧れの看護師像なんかも見えてくるようになっていました。
しんどいなと思うことはあるけれど、もちろん毎日嫌なことばかりではなかったし、今後はプリセプターになったり委員会に出たり看護研究に取り組んだり、責任は増えるけどこれからもっと仕事が面白くなっていくだろうということもわかっていましたし、学生時代の同期もそれぞれの場所で着実に専門性を伸ばして行ったり、結婚したり子供ができたりとライフステージを進めていく友達も増えてきました。
順調に大学院を卒業できて、帰国したとして、その頃には周りのみんなは看護師7年目になっている。だけど、自分は新人に毛が生えた程度のスキルで、でも年齢的には20代後半としてまた社会に戻ってくることになる。
スポーツ医療の勉強をして、欲しかった知識やスキルを身に着けたとして、それが看護師としての自分のキャリアに生きる保証はない。
アメリカで収入を得られる見込みも特になかったけれど、学費と生活費を全部自腹で払うことで貯金がどんどん減っていく恐怖もあった。
看護師として3年ちょっとしか働いてないのに、さらに3年も臨床を離れたら、もうあんな風に忙しい現場の第一線には戻れないかもしれない。そうやって20代後半の大事な時期のキャリアに大きな穴をあけることで、結果的に看護師として働ける場所の選択肢を減らしてしまうのかもしれない…。
不安なことを挙げればきりがないほどでした。本当にやりたいことに手を伸ばす代わりに、今持っている「別に捨てたくないもの」も全部手放さないといけないという恐怖は、いつでもそばにありました。
レールに沿って生きてきた自分が道をはずれるまで
だから、本当に大学院から合格通知をもらって、ボストンまでの片道航空券を取るまで、あまり周りの人にははっきりとこの計画について言えなかったんだと思います。
私は人の意見を気にせずに我が道を突き進めるほど強い人間ではなかったから、自分でもわかっている「この道を選ぶことによるデメリット」を、周りの人の口から改めて言われたくなかったのかもしれません。
退職を決めたときにこれからどうしたいかを親にも話したとき、急にアメリカに行くとか言い出したので当然のように猛反対されました。仕事がそんなに辛いんだったら辞めたらいいけど、まだ若いのに無職になってどうするんだ、と。
それまでは普通に学校に通って普通に就職して、特別落ちこぼれるでもなく、特別ユニークなことをするでもなく、みんなと同じ流れに乗って平凡に生きてきました。
レールに乗った人生なんて自分には合わない!とかいうタイプでもなかったので、私自身も「普通の流れ」からそれてしまうことはめっちゃ不安だったのに、さらに家族や周りの親しい人にも特に応援されてない(周りの親しい人にはただ言ってなかっただけですが…笑)という事実は私をますます孤独にさせました。
結局仕事は4年目の6月末で退職して、翌年の1月に大学院に入学したのですが、その間一人で勉強や出願の準備をしていた約半年間のモラトリアム期間は絶望的に孤独で、実際あんまり勉強もはかどらず、ベッドから起きれない無気力な日もあったりして、一番どん底の時期でした。
アメリカでの2年半の留学生活を終えて、再び看護師の道へ
(↑↑卒業式のわたし)
渡米してからの話はもはや長すぎるので割愛しますが、私は順調に大学院での全カリキュラムを終え、国家試験に合格し、全米公認アスレティックトレーニングトレーナーの資格を取得して帰国しました。
卒業後の就職先の選択肢も色々考えたのですが、最終的にスポーツ選手の患者さんも多い整形外科専門病院の病棟看護師として再びキャリアをスタートさせることを選択しました。
いざ働き出してみると、留学前に思っていた不安材料なんか、全部大したことじゃなかったなと思います。
アスレティックトレーナーとしての学びも看護師としての成長に確実に役立ったと思うし、もう自分のことを「毛が生えた新人」だとも思いません(なんかちょっと違う意味みたいですね)。
看護師としての働き方はたくさんある
たとえばもしこれから3次救急のめちゃめちゃ忙しい病院の病棟看護師とか、ICUとか、移植を受ける患者さんの看護とか、そういう領域で働きたいと思っても、需要もなくかなりハードルが高いかもしれません。
だけど、私は運動器の解剖も疾患も手術もとても面白いと思うし、思っていた以上に整形外科は奥が深く、職場には尊敬できる先輩もいて、もっと整形外科看護師としてのスキルを上げたいと思いながら日々楽しく働いています。思い切って整形外科に絞ってよかったと思います(ちなみに新卒のときは内科の混合病棟でした)。
全部の可能性を残そうとすると、限られた時間の中では結局どれも中途半端になってしまうのかもしれません。やっぱり何かを得たければ、何かを手放さないといけないんだと思います。
自分にとっての正解は、自分にしかわかりません。
私の職場は整形外科のみの単科なので、もし内科的な管理が必要になったら転院してしまうため、そういった全身管理にやりがいを感じるタイプの人には物足りないかもしれません。だけど、私はそれがどうしても嫌だとまでは思いません。その分、興味があることに集中できるから。
アスレティックトレーナーの勉強をして変わったこと
私の根本的な性格はもちろん変わりませんが、以前と今とでは物事の見方や考え方がかなり変わったと思うし、何より「自分がこの生活、この人生を選択している」という責任感が強くなりました。
冒頭で私には目標があると書きましたが、整形外科のスーパー病棟看護師になることが私の最終目標ではありません。アスレティックトレーナーの資格を、単なる履歴書の飾りで終わらせるつもりもありません。
でも、私のビジョンに効率的にアプローチできる仕事が今だと思えているし、何よりも、そこにたどり着くまでに必要だから我慢しているというのではなく、今の生活そのものが楽しいのです。
今後のわたしの人生
35歳、40歳のときにどんな自分でいたいか。今の時点で見えていることが全てじゃないと思うし、この道を歩いていく途中でまた面白い出会いがあるかもしれません。むしろ自分が面白そうと思った道を選んで歩いているので、きっと私のアンテナにひっかかる、わくわくするような出会いがこの先にまだたくさんあるだろうと思います。
たとえば、今こんな風に、あなたに私の情熱をシェアさせていただく機会を持てたように。
とても長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
看護師の働き方って、本当に可能性に満ち溢れていると思います。自分にとって、本当に心の底から大事にしたいもの以外は手放しちゃってもいいんじゃないでしょうか。
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